女遊びより楽しい「学問」

小林秀雄の講演集の第四巻に収められた一編。

(ちなみに、全7巻。 1巻CD2枚組みで4000円。)



僕はこの講演集が好きで結構繰り返し聞く。

小林秀雄の喋りが落語みたいなので、聞いていて楽しいし、退屈しない。



なかでも、



女遊びより楽しい「学問」



という部分の、伊藤仁斎に関する話は面白い。


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伊藤仁斎は、江戸時代の思想家で、終生どの藩にも仕官せずに、町の学者として、一生を送った人。
彼が開いた古義堂という塾の塾生は3000人にも上る。


仁斎の私塾に集まった人は、様々で、公家や武士はもちろん、中には百姓や商人もいた。


商人といっても、時代劇なんかで出てくる悪い顔した「おぃ、越後屋」的な、越後屋を想像されても困るので、当時の商人の状況を客観的に少し、


長者と呼ばれるには銀千貫、分限者は五百貫、金持ちは二百貫以上。銀を金に換算し、金1両を銀60匁とする。長者は1万7千両、分限者は八千両、金持ち三千両以上となる。 金一両を米一石、年貢は五公五民とすると、長者は三万五千石、分限者は一万五千石、金持ちは六千石に相当する。しかし、年貢米は籾を米にすると収量は半減するので、石高制にすると実質的に長者は七万石、分限者は三万石、金持ちは一万二千石の大名となる。こうやって具体的に数字をあげられると、江戸時代の大金持ちの町人というのは、並みの大名以上の存在だったということがよく分かります。


典拠


というような訳で、もう今で言う所のセレブなんて遠く及ばない位、お金持ってた。(もちろん、こんだけの金持ちだから越後屋的な悪い顔してたかもしれない・・・)


まあ、こういう人たちが仁斎の講義を聞きに来てた訳だ。と言っても、塾生はそんなセレブ商人ばかりでもない。


百里(≒393Km)も離れた所から、仁斎の講義目当てに来た百姓もいた。食い物といえば背負って来た豆の袋で、講義もその豆を食いながら聞いた。つまり、講義さえ聞ければ食い物なんて何でも良かった訳だ。


女遊びも、博打も、遊びと言う遊びを全てやり尽くした商人や、食い物にも苦労するような貧乏な百姓が、どうしてそんなにも仁斎の講義を聞きたかったのか?


そう、仁斎の講義が面白かったからだ。


講義を聴き終わってみると、人間というものがどうして暮らすのが正しいのか分かった様な気になる。「人間にこんなにうれしい事はないじゃないか」 by 小林秀雄


という様な事で、当時の市井の人にとって、学問ってのは、女あそびよりも楽しく、面白いものだった。食い物なんてなんでも良くなるくらい魅力的なものだった。


ちなみ講義といっても、大学の講義のような畏まったものではなく、お酒を飲んだり、ご馳走を食べながら聞く事が出来た。内実共に、本当に楽しく面白い講義だったと推察する。

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というのが講演の個人的超訳・・・。


時は、西暦2008年。


みなさん、大学の講義は面白かったですか?学校の勉強を楽しいと思って寝食を忘れた事がありますか?


僕はない。


少なくとも義務教育や、それ以降の教育課程において、何をおいても勉強が楽しいなんて思った事はない。むしろ、それは如何にして学ぶ事(覚えさせられる事)から逃避するかを考える日々だった。ウンザリだ。ホントに。


でも、そんな日々の中でも自発的に興味を持った事は積極的に学んできた。もう、それこそ寝食忘れて本に没頭した事もあった。学ぶことが楽しくて仕方がないという経験も何度もした。そして、そういう時の幸福な気持ちを、また体験したいと思うし、その為に、今でも本を読み漁り続けている訳だ。必要があればどんな分厚い専門書だって、希少な古書だって買うし読む訳だ。


知性を備えた動物である人間にとって、学びたい、知りたい、学問をしたいという思うのはごく自然な事なのだ。ほっといても、自然に生まれる感情なのだ。


学問したいという気持ちは、江戸時代の水呑百姓だって持ってるし、電車でウンコ座りしているスーパーサイヤ人みたいな頭した高校生も持っている本能なのだ。


でも、スーパーサイヤ人高校生は、豆の袋背負って塾なんか行かない。(そもそも学校にすら行かない)むしろ、彼らには、女遊びのが学問なんかよりは遥かに面白そうだ。


どうしてそんな事になったのか?


「学問をしたいと思うのが本能じゃなくなったのは、現代くらいのもんです。」 by 小林秀雄


続いて、小林秀雄はこんなエピソードを語る。


江戸時代の水呑百姓は、もちろん誰も学問なんか教えてくれないし、義務もない。だから、子供の頃に「人生とは何ぞや」という疑問が生じたら、その疑問は熱烈なものになって、それを教えてくれる先生が京都にいるとなれば、百里の道を遠しとせずに京都まで行った。


こんな話の展開だと、僕がまるで「教育なんて止めちまえ!」と言ってるように受け取られるかもしれないが、もちろん、そうじゃない。この物質的に飽和した高度資本主義社会の現代日本において、教育を受けなかったら、それこそ生きて行けない。


江戸の時代の学問の起点となった中江藤樹もまた、伯耆国(現鳥取県)の水呑百姓として生まれた。そして、士農工商全ての身分の人々から「近江聖人」と呼ばれるまでになった。


もちろん、現代の学生と近江聖人を比べてもしょうがないけれども、そこには、学問(学ぶ事)に対する徹底的な違いがある。それはさっきも書いた、学問に対する渇望だ。藤樹にはそれがあり、現代多くの学生にはそれがない。


でも、ホントは現代の学生にだってそれはある。ただ、文部省が作った、彼らの本能をげんなりさせるような教育指導要領や、高圧的な態度で教育に臨む一部教師(僕が学んだ多くの教師はそうだった。もちろんそうでない先生もいた)によって、その本能はどんどん小さなものなっていく。


それだけじゃない、現代には、伯耆国の水呑百姓とは比べ物にならないくらい楽しい誘惑が一杯ある。テレビ、ケータイ、ネット、ゲーム、etc、挙げるまでもないだろう。


話が逸れまくった。焦点がボケた。戻そう。


仁斎の私塾の話だ。


今と300年前では「学問」という言葉の指す意味が、全く違っているから、話がブレる。


現代の「学問」てのは、アカデミズムのエイリアスで、市井の人にとって、アカデミズムなんて、全く生活に関係ない。少なくともそんな事知らなくても、人生において特に痛痒は感じない。


別の講演集で小林秀雄も言っていたが、


今の大学の先生に、「先生、人生とはなんですか?」と聞いても、先生は答えてくれない。そんな質問に答える義務もないし、「俺の仕事は○○××研究だ。哲学科にでも聞きに行け!」と言うだろう。(ちゃんと答えてくれる先生もいるかもしれないけど、そういう先生は大事にして下さい。)


現代の学問とは、そういう所まで行ってしまったのだ。


でも、300年前は違う。仁斎先生に、同じ質問をぶつけれれば、講義という形でそれに答えてくれた。それが当時の学者の矜持であり、義務だったからだ。だから上に挙げた様な、様々な背景の人たちが集まったのだ。女遊びや、博打をやりつくした商人にだって、「人生とは何ぞや」という事について知りたいという渇望はなくならないから。


300年後の現在だって、同じ事だ。科学や文化は進歩しても、人間の本質はそんなに簡単には変わらない。今だって、みんな生きる意味について知りたがっている。だから、三輪明宏や、江原啓之のスピリチュアルな説教があれだけ支持されているんだろうし、生き方のHowTo本が巷に溢れてベストセラーの常連になっているんだろう。もちろんベストセラーなんかで生きる意味なんて分かる訳ない。。。


でも、仁斎の講義と、現代スピリチュアル説教やHowTo本は、その動機やスタンスにおいて全く性質が異なるものだ。


ふぅ、結構書いた。


まあ僕が帰りの横須賀線の中で講演集聞きながら思った事は大体書けたと思うので、もうこれ以上書かないけど(もう深夜1時だから)、ここまで読んでくれた人に何か伝わったのかしらん。


次回に続く。。。