かいじゅうたちのいるところ




正直いって、既に28歳になってしまった身としては、いまいち入り込めずに、どうも分析的な視点での観賞になってしまう。うーむ。切ない。。。とは言え子供がいる人は、『ワンピース』なんぞではなく、こちらをみせてあげるとよいとは思う。子供の視線や、微妙な感情により沿った丁寧な作りで、物語もゆっくり進む。映像も想像力を掻き立てるものがある。自分が子供だったら、連れて行って欲しいと思う。もちろん、今となっては誰も連れて行ってくれないので、自分で観に行く。



原作となった絵本の方は、随分短いらしく(恥ずかしながら自分は読んだ事ない)、映画版はスパイク・ジョーンズが随分と膨らましたようだが、基本的には、子供の感情の変化がそのまま、かいじゅうたちがいるせかいに反映されている(これは基本的に原作も一緒だとおもう)。主人公の少年マックスは、かいじゅうたちの王様ゆえに、マックスが楽しめば、その世界はたのしくなり、恐れれば、そこは恐怖の世界になる。そんなマックスの想像の世界の中で、マックス自身が少しだけ成長する。そんなお話。その成長も明確には示されていない。微かに観客が感じるとるもの程度に抑えられている。素敵。



子供の頃なんて、たいていは空想の世界に浸っているもの(未だに多少浸ってはいますが)で、現実世界は空想の物語を作り出す為の道具立てに過ぎなかったりもする。その空想の世界で子供の心はグングン成長するもので、この作品は、その『グングン』という感じを実によく描いているなぁと思いながら観ていた。グングン。



でも、別に『グングン』成長するのは、子供だけじゃないよなぁ。自分が知っている素敵な大人の人は、みんなこの『グングン』をいろんなレベルでやっている気がする。そういう子供らしさは大人になっても捨てちゃいけないのだ。大人の『グングン』はたいてい好奇心が原動力になっているものだけど、そういうものを失ってしまうと、人ってのは簡単につまらなくなってしまう。



というわけで、観終わって、土日をダラダラと過ごさないで、『グングン』せねばと身につまされる思いでした。


キャピタリズム〜マネーは踊る〜




刺激的な映画。何たって資本主義批判だからね。



観ていると、喜怒哀楽の全部を刺激してくれるマイケル・ムーアドキュメンタリー映画だが、流石に今回は相手が資本主義というものだから、暖簾に腕押しというか、いまいち力のある一発がたたき込めていない。その点、「シッコ」は、アメリカの医療制度問題にちゃんとスコープを絞っていたから、闘いやすかったとは思う。



とは言っても、恐らく、観た人の多くは共感を得られたのではないかと思う。

そのくらい今の社会には、特に日本には、ルサンチマンとでも言うべき感情が広まってしまったという事なんだろうなぁ。と思った。米国とはまたちと微妙に事情が違うから、感じ方もちょっと違ったのではないかな。出口のない閉塞感が、一部の利権を握っている人達に、怒りとなって向けられて、そういう仕組みを容認するのが資本主義という事であれば、もうこれは打倒するしかないですね。と。一揆ですね。という流れが米国でも、日本はそう単純な話でもないからね。



でまあそういう話もあるけど、個人的には、資本主義批判とかはどうでもよくて、やっぱりマイケル・ムーアは優しい、正義感に溢れたおじちゃんなんだという事をひしひしと感じながら鑑賞していた。



ムーアは、若い頃真剣に聖職者を目指していて、苦しんでいる人達の助けになりたい。と思っていたと、この作中でちょっと紹介されているけど、この人の行動原理は、苦しんでいる人への共感であって、つまり、それは優しさで、『ボウリング・フォー・コロンバイン』でも『シッコ』でも作品の根底にあるムーアの想いというのは、素朴な、人々への共感でしかないと思う。



この作品でも、資本主義にキリスト教をぶつけている。よく考えるとおかしな対比だけど、もちょっとよく考えると全然おかしくないのだ。『だって、一握りの人間がどう頑張っても使い切れない程荒稼ぎして、多くの人が家まで失うなんておかしいじゃんか?』と。ムーアの作品を支えるの、いつだってそういう普通の人の常識であって、実は社会が健全であるかどうかって、そういう常識がちゃんと通用するかどうかでしかはかれない。そういう常識をしっかり声高に叫べて、それがちゃんと大きな声になってオバマは当選した訳で(まあ現状の評価はちょっと置いといて。。。)、それはアメリカという国の良いところ(ちょっと極端な部分もあるにせよ)だと素直に思う。



そういう点では、日本という国はだんだんそういう常識が通用しなくなってきているのかも。。。とも思ったりする。



あと、この作品の原題は『Capitalism:A Love Story』。そう副題は『A Love Story』なんだよな。


(500)日のサマー

みなさん。あけましておめでとうございます(遅いけど)。

今年も拙ブログをどうぞよろしく。






予告編が英語しかないので、日本語の予告編が見たい方は、こちらの公式サイト



冒頭から、これは愛の物語ではないとナレーションが入るけど、

確かに恋愛映画というよりも、boy meets gril のお話と言われた方がしっくりくるかもしれない。



グリーティングカード制作会社(世の中にはそんな会社があるんですね)に勤める主人のトムが、そこに転職してきたサマーに恋をした500日間がランダムに回想されていく。



時間の流れをバラバラにするという技法は、いろんな映画で使われているけど、僕の記憶している限りだと、大抵はミステリーとかで、観客の頭の中でパズルのピースがちょっとづつハマるように謎が解けてくとか、そういう風に使われている。



この映画では、主人公のトムがサマーに恋をした500日間をランダムにふり返る。という演出として、時間バラバラ技法(今適当に命名)が使われていて、それが可笑しみや、悲しみを上手くみせてくれる。シンプルだけど、効果的。



あと、やっぱり挿入歌にセンスが光る。というか監督の音楽趣味がそのままダイレクトに反映されているんだろう。大体は80年代以降のアーティストのものだが、どれも素敵な曲で、もうそれだけで楽しくなってくる。主人公のトムは、エレベーターで、The Smiths を聞いてると、サマーに「それスミス?私もスミス好きよ」って言われて、トムは恋に落ちるんだけど、これは絶対監督の妄想だ!間違いないぞ!



サントラも買ったけど、凄く良い!絶賛オートリピート中!



500 Days of Summer

500 Days of Summer



そして、サマー。。。もうこういう女の子居ますね。マジに。自由奔放でとっても魅力的という。大抵の男の子はこういう娘に恋をせざるを得ないと思うけどなぁ。皆さんどうですか?とりあえず、『ハプニング』の時より10倍くらいズーイー・デシャネルが可愛い。

(しかもwikipediaによると、このズーイーの由来は、サリンジャーの『フラニーとゾーイー』のゾーイーから取っているんだって。なんて素敵な。。。)



ありきたりなハッピーエンドでは決してないけれど、可笑しくて、みっともなくて、悲しくて。そういう当たり前な光景が、何とも素敵に見える。見終わって、なんとなくスキップでもしたくなるそんな良い映画。新年一発目の映画としては、申し分なかったです。公開している場所は限られてますがオススメの一本。


2009年映画まとめ

という訳で、2009年の映画の締めくくり。

今年は去年よりも、映画館に行くことが出来ず。。。このままではアカン!とは思いながらも、実際なかなか行けなくなるもんだなぁ。。。



で、映画館で観たものだけに限定すると、かなり数が減っちゃうので、2009年に劇場で公開されていた作品の中で自分が観たものリストが以下。



1.ラースと、その彼女

2.永遠の子供たち

3.レボリューショナリー・ロード / 燃え尽きるまで

4.007/慰めの報酬

5.チェ 28歳の革命

6.チェ 39歳 別れの手紙

7.ベンジャミン・バトン 数奇な人生

8.7つの贈り物

9.カフーを待ちわびて

10.マダガスカル2

11.ウォッチメン

12.ザ・バンク 堕ちた巨像

13.トワイライト 〜初恋〜

14.スラムドック$ミリオネア

15.おっぱいバレー

16.グラントリノ

17.天使と悪魔

18.バンコック・デンジャラス

19.重力ピエロ

20.スタートレック

21.ターミネーター

22.トランスフォーマー/リベンジ

23.ヱヴァンゲリヲン 新劇場版:破

24.ディア・ドクター

25.サマーウォーズ

26.ボルト

27.96時間

28.サブウェイ123 激突

29.ウルヴァリン:X-MEN ZERO

30.空気人形

31.沈まぬ太陽

32.2012

33.カールじいさんの空飛ぶ家

34.アバター



34本。少ないね。。。まあ、でも大作は大体抑えてるつもり。あと評判だったやつはちゃんと劇場に足を運んだ。



んでは、行ってみよう!



まず、初っぱなの『ラースと、その彼女』。これはこないだDVD借りてみたんだけど、すっごい良かった。こういうドラマは、下手するとすぐに陳腐な方向に走ってしまいがちなので難しいだけど、物語と癒し、他者とのつながりといったテーマを丁寧に、真正面から描いて成功している。年末年始にみても心温まる良い作品。



『永遠の子供たち』も良かった。ギレルモ・デル・トロ監督は、『ミミック』とか『ブレイド2』とか『ヘルボーイ』とかわりと自分が好きな作品とってるお人。今回は、ダークファンタジーにチャレンジという事だが、これは巷の評判通り、非常に良かった。ラストに何とも言えない感動が待っております。



『レボリューショナリー・ロード』まあ詳しくは、こっちをを読んでもらうとして、こういう類の地獄は現代人には、マジでおっかない話である事は、間違いないと思う。夫婦では観ない方がいいかもしれない。



『007/慰めの報酬』。前作の『007/カジノ・ロワイヤル』が凄く良かっただけに、ちょっと残念な出来。ダニエル・クレイグは相変わらずいいんだけどね。



で、



チェ 28歳の革命 / チェ 39歳 別れの手紙』。こちらもエントリを参照してもらうとして、この映画は一ヶ月ぐらい余韻が残ったなぁ。。。Blue-rayも買っちまったよ。こういう信念の人が求められる現代は、やはり不幸な時代なのかもしれないね。



『ベンジャミン・バトン 数奇な人』予想よりは良かったけど、やっぱフィンチャーフィンチャーである。オレでもこれにはアカデミー作品賞はやれないな。



『7つの贈り物』は、個人的には頂けなかったなぁ。。。

カフーを待ちわびて』は、とりあえず沖縄に移住したくなる。いい話だけど、もう一ひねりあると、いいなぁとという所か。



マダガスカル2』は思いのほか面白かった。最近はアニメ作品の方がアメリカのコンテンポラリーな実情捉えている気がする。



ウォッチメン』はとても難解だが、非常に興味深い社会派アメコミ。昨年の『ダークナイト』も面白かったけど、個人的にはこちらの方が面白かった。特に、犯罪者たちをボコボコにした高揚感が、性的な興奮の高まりと直結していく描写とか、まぁ凄い批評性。



ザ・バンク 堕ちた巨像』も満足度の高い一本だった。主人公の絶望感と、それによる人生を掛けた決断。格好良すぎるぞ!クライブ・オーウェン



『トワイライト 〜初恋〜』アメリカのティーン向けの恋愛ものだけど、主演の男の人気は凄まじかったみたいで、続編が公開されてる。確かに、ヴァンパイアの青年役のロバート・パティンソンは非常に端正な顔立ち。日本でもドラマになってましたね。



『スラムドック$ミリオネア』素敵な希望を与えてくれる映画だった。今年一番元気な映画だという事は間違いないと思う。躍動感が違う。こんな映画は今の日本映画の状況だとまず作れないだろうなぁ。音楽も良かったなぁ。絶望から顔を上げていくってこういうことなんだろう。



おっぱいバレー』もある意味では、元気な映画だった。中村トオルの最後の科白が素敵。



そして『グラン・トリノ』もう大傑作です。面白い映画を撮る監督はたくさんいるけれど、人の心をガツンとぶん殴って振動させるという分野においては、イーストウッドは別格。2009年公開作品の中では、一番深みのある感動を残してくれた作品。



『天使と悪魔』ダ・ヴィンチ・コードよりはかなり面白くなった。単なるペダンチックな作りではなく、エンターテイメントとして上手にまとまってる。



バンコック・デンジャラス』全編色気がある映像。大人のためのハードボイルド映画。



『重力ピエロ』なんか最近は伊坂幸太郎作品は、端から映画化されている気がするが、骨子はミステリー作品ではあるが、家族の絆というものが非常に上手に描かれている気がする。『俺たちは最強の家族だ!』by 父



スタートレック』自分はスタトレファンではないが、熱烈なファンからも概ね好評だった本作。ファンでない自分が観ても、素直に面白いドタバタと友情劇。続編もあるかもとの事なので、ここからスタトレに入るのもいいかもしれない。



ターミネーター4』うーん・・・『3』よりは良かった。けど、やっぱターミネーターは、単なるドンパチ映画ではないという事を制作各位は、肝に銘じていただきたい。人気シリーズなので、プレッシャーや過度の期待はあるだろうけど、ターミネーターを撮るというのはそういう事なのだ。



トランスフォーマー/リベンジ』マイケル・ベイ大先生が、これでもかという金を掛けて作っただけはあって、前作よりも大幅にパワーアップ。まあ、観ていて飽きない。アメリカ人以外は人に非ずという様な身勝手さもマイケル・ベイ大先生なら許されてしまう。



ヱヴァンゲリヲン 新劇場版:破』一作目の『序』は所々に違いはあったものの、基本的にはTVシリーズの焼き直し。でもこの『破』はREBUILDの名の通り、これまでとは大きく違う展開を見せてくれた。でも個人的に一番スゲーと思ったのは、アニメーションが本来持つ躍動感に他ならなかった。絵の動き、それだけで観る人に快感を与えるんだなぁ。と。コアなファンもいるから、賛否両論あるだろうけど、個人的に大傑作だと思った。



『ディア・ドクター』前作『ゆれる』は相当の傑作で、ああこんだけの地力がある映画撮る監督っているんだぁと思ったもんだけど、西川美和監督は、今一番日本で注目すべき監督かもしれませんね。『人』を描くという事に関して、この人の切り出してくる映像の切れ味は凄まじいものがある。



サマーウォーズ』も、『ヱヴァンゲリヲン 新劇場版:破』まではいかなくとも、非常に気持ちのよい作品。



『ボルト』犬版裸の王様。でもあの宮崎駿が、(内心敗北を認めてしまったであろう)ジョン・ラセターが絡んでるだけあって、ピクサーのクオリティはしっかり引き継がれている。てか、昨今のCGアニメは本当に外れに出会う事が殆ど無い。ジャパニメーションなんて言っていられない時代が来るかもしれない。



『96時間』なんのひねりもない、さらわれた娘をめちゃくちゃ強いお父さんが奪還するというストーリーなんだけれど、まあ魅せてくれる。気持ちのよくなるアクション作品。



サブウェイ123 激突』 74年の『サブウェイ・パニック』のリメイクだが、現代的な要素がふんだんに詰め込まれていた。いぶし銀の面白さ。



ウルヴァリン:X-MEN ZEROX-MENシリーズでも一番面白かった気がする。これから、この様なスピンオフ作品がたくさん出るという事なので、楽しみ。



空気人形』 2009年、孤独を上手く描いたで賞。孤独というのは、これから大きなテーマとして、きっともっと多くの作品で取り上げらえていく事だろう。都市の中で孤独を抱えて人は如何に生きていくのだろうか?そんな中での人と人との繋がり方のあり方とかね。そういう難しさを上手く描いてほしいという要請はあるだろうと思う。



沈まぬ太陽』 やっとで映画化とも思うけど、これくらい今の日本企業の病理というか、日本人の病理を描写してしまった作品はないかもしれない。



2012』 中国人の描き方と、主人公たちを全肯定をする訳ではない視点が新鮮だったなぁ。2009年、地球をもっとも豪快に破壊したで賞。



カールじいさんの空飛ぶ家』 これはね、もうほんと良かったね。別れを描きながらも、同時に新たな希望と決意を描いてくれている。別れは決して終わりではないというそういう素敵なメッセージを持った作品。



アバター』 キャメロンの久しぶり新作なので、結構過度な期待をしてしまったけど、監督として手腕や情熱は衰えていなかった。ただ、やはりもうピークは過ぎてしまったのかなぁという寂しさを少しだけ感じた。



では、2009年の個人的ベスト3でも



1.『グラン・トリノ

2.『チェ 28歳の革命 / 39歳 別れの手紙』

3.『カールじいさんの空飛ぶ家




という所。まあ観てない作品もたくさんあるので、非常に偏りのある結果かもしれないけれど、やっぱ『グラン・トリノ』は映画としての格が違うので、ベスト3入りは確実な気がする。『チェ〜』は個人的な思い入れ強し。『カールじいさん〜』は年末に本当に素敵な感動を与えてくれました。



今年はあまり映画を観に行けなかったけど、映画というのは、一番お手軽で楽しい娯楽だと本当に思う。土日に良い映画一本観るだけで、一日気持ちがホクホクするからね。という訳で来年はもっと映画館に足を運ぼうと思う。



それではみなさん良いお年を!

アバター




これまた3Dで鑑賞。



まず、作品云々以前に、3Dメガネをかけて映画を観るというのが結構微妙なのだ。これは『カールじいさんの空と飛ぶ家』の時もちょっと思った。まず、フィットしないので、手で押さえたりする必要がある。これだけで集中力がちょっと削がれる。また、メガネを常用する人にはかなり悲惨だ。メガネonメガネで、鑑賞中かなり目が疲れる。。。



キャメロンは、この3Dという技術に興味津々なご様子なので(というかこのおっさんの撮影技術にたいする拘りはいつだってハンパない)、この3Dという技術を使って、まさに観客を別世界に連れて行こうしたんだろうなぁ〜。というのは分かる。よく分かる。でも残念ながら、現在の3D映像技術は、そこまで成熟してない。。。



メガネなし(技術的にはそういう方向に一応は向かおうとしている)で、スクリーンも観客を覆うような映画館でも出来ないと、きっとキャメロンが観客に体験させたかった事は、実現できないと率直に思う。映画という枠を越えて疑似体験を目指しているのであれば。



で、作品として、どうか言えば、いつものキャメロン節は炸裂だった。ロマンティシズム、理想主義。そういう部分はこの人の持ち味なので健在である。これは好みの問題だけれども、自分は好きだ。



まず、相当に作り込まれた世界観が凄いが、どこか気味が悪い。惑星パンドラの青い肌の原住民ナヴィは、このちょっと気味悪いよな。という絶妙な感じをよく表している。あんまりお友達になりたくない感じである。



そんな気味の悪い惑星パンドラに乗り込んできた人類は、この原住民ナヴィの村がある大樹の下に、キロ当たり2000万ドルする鉱石がしこたまあると知り、なんとかそれを手に入れたい。当然、こういう欲深い人間の本質をサクッと見抜いているナヴィ達は、あまり友好的ではない。そこで、主人公はアバターと呼ばれるナヴィの体を模した人造の肉体に、神経レベルでシンクロして、原住民の懐に入り込み、情報収集をするというスパイ作戦に参加するのだ。



そして、主人公が彼らと生活を共にする内に、彼らの文化の奥深さや、優しさに触れていく。主人公は、彼らとの交流を深める内に、その世界にどんどん引き込まれていき、いつしか彼らと共に過ごす時間の方に充実感を覚え始める。



凄いのは、この主人公がたどる心の変化と共に、それを観る観客の心も変化していくという事だ。最初は気味の悪かったナヴィ達に、いつの間にか親しみを覚えるようになっている。また、気味の悪かった生物達の事も好きなってしまう。



観客の心を、主人公の心の変化に合わせて移動させるキャメロンの演出が、凄いんだけど、その凄さが全然分からないとこが、また凄い。主人公と原住民のナヴィの女性のキスシーンは、なんとも感動的で、そこで完全に観客は、ナヴィの味方になってしまう。



この映画のテーマは、相容れないと思っていた他者との出会いであり、心の融解の物語なのだ。それをしっかり観客にも体験させてくれるのだから凄い。



もちろん、これはキャメロンだから出来た完璧な計算された演出で、凡百の監督にはまず出来ないだろう。



それと、キャメロン映画におなじみの強い女性もちゃんと出てます。



3D技術が成熟してから観れば、これはある意味で革命的な映画かもしれないので、ちょっと残念な気もするが、これから劇場で鑑賞しようと思っている人は、前の方の席で、しっかりと3Dメガネを固定するもの(ヒモとか)を持って劇場に向かうといいと思います。



という訳で、これで今年は映画納め。今年の映画ふり返りは、年内に頑張ってUPします。



追記:



twitter読んでたら、シガニー・ウィーバーが途中で説明する、惑星パンドラに張り巡らされた巨大な神経ネットがスゲーんだよ。こっちが真の価値だよ。という主張をするシーンがあったけど、この伏線は確かに放置されていた。劇中は、『お、盛り上がってきました!』とか思ったけど、その後何もなし。。。エンジニアとかやってるとやっぱ気になるよね。。。そこら辺はね。まあ、こっちにフォーカスしちゃうと、作品のテーマがぶれちゃうかなという判断なんだろうけど、DVD(Blue rayでもいいけど)のディレクターズカット版とかでは、是非そこらへんの伏線を回収するカットを追加して欲しいなぁ。


カールじいさんの空飛ぶ家




3Dで鑑賞。



話題になっている冒頭の追憶のシーンでもう完全にやられてしまった。素敵な映像と素敵な音楽のみで語られるカールじいさんの人生。映画というものの本質的な力を感じさせられる。



追憶の中に生きるじいさん。妻と思い出のみがじいさんのすべてで、それ故に頑なになっているじいさん。そして、その頑なさが災いしてしまう。妻の夢を叶える為に、そこから冒険を決意していくじいさん。



その一連の流れだけでもう素晴らしかった。沢山の風船につながれた家が飛び立つシーンも作り込みが凄い。ディティールへの拘りが最高の演出になっている。プロの仕事だ。



また、吹替版で観たのだけれど、作中の本の内容まで日本語で書いてあった。。。これ多分各国語のバージョンがあるんだろう。制作スタッフの世界中の観客に対する心配りが感じ取れる。



話の展開は、全く予想もしないもの。そして随所に盛り込まれた笑いと哀しみ。



実際、観ながら、頑固なじいさんが、死別してしまった妻の果たされなかった夢を叶えるものだと思っていたのだけれど、そういう話ではなかった。描かれていたのは、過去との決別であり、非常に前向きな決意の話だった。



宮崎駿がこんな言葉を寄せているのを劇場のポスターでみかけた。



「実はボクは、追憶のシーンだけで満足してしまいました。追憶と同時に『古い夢』と『新しい夢』を描いていくこと。それが面白かったですね」



確かに、古い夢だけを描いたのであれば、それ程面白い映画ではなかったと思う。その古い夢に別れを告げるという辛さがなんとも前向きに描かれてるのが、涙を誘う。妻の夢を叶えたと思った途端に失ったもの、そこでじいさんが下す決意と、じいさんが捨て去るもの。古い夢と新しい夢が混じあうシーンゆえに非常に切ない。この映画中で最高のショットもここにある。



もう年末だけれども、とても良い映画を観せてもらった。あとは、『アバター』を観たら今年は映画納めかな。


時を超える神話

時を超える神話 (キャンベル選集) 時を超える神話 (キャンベル選集)

Joseph Campbell



角川書店 1996-09

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浅学菲才なもんで、読むのに難儀したが、興味深く神話というものを捉え直す視座を与えてくれる。また、語り口も上手い。で、『生きるよすがとしての神話』を読みたいわけだが、絶版な上に、中古も5000円以上する。高いよ。。。



『千の顔をもつ英雄』が『スター・ウォーズ』サーガのベースになっているのは有名な話だが、ルーカスが、なぜキャンベルの神話学に触発されたかは、この本を読むだけでもよくわかる。これほどまで魅力的に神話が語られるとは。そして、村上春樹もキャンベルを読み込んでいる。



いいなと思った部分を幾つか引用する。



ブッダが生まれ、神々が彼を黄金の布で受ける。するとこの子は七歩進んで、右手を挙げ、左手で地を指し、「天上にも天下にも、私のような者は一人もいない」と宣言します。



ブッダはそれを自覚するために修行などしうる必要などありませんでした。生まれながらにしてそのことを知っていたのです。鈴木大拙は米国で仏教についての最初の公演旅行をしたとき、こう言われました―「実におかしなことですな。生まれたばかりの赤ん坊がそんなことを言うなんて。本当は長い長い期間を経て、菩提樹の下で悟りを開き、自分の精神の誕生を見てからようやくそう言ったはずだと、みなさんなら思われるかもしれぬ。しかし、われわれ東洋人にとっては、万事いっしょくたです。われわれは精神生活と物質生活とに大きな区別を設けません、物質的なものは精神的なものを表わしておるのです」。・・・中略・・・



鈴木大拙はようやく話の要点に到着しました。「赤ん坊は生まれたとき必ず泣くそうです。なんと言って泣くのか。赤ん坊は『天上にも、天下にも、私のような者はいない』と宣言しているのです。あらゆる赤ん坊はブッダ・ベビーですからな」



赤ん坊はみなブッダ・ベビーである。それはこれまでも述べてきたすばらしいエネルギーの無邪気な顕現です。では、そんじょそこらの子供とマヤ夫人の子供とはどこが違っていたのでしょう。マヤ夫人の子供は自分がブッダ・ベビーであることを自覚していました。仏性のいちばん肝心なところは、あなた自身がそれを自覚することです。それには大きな努力が必要です。主な理由は、社会が「おまえはそんな者ではない」としつこく言い続けていることです。

『時を超える神話』 p120〜p122


私はときどき、「どんな儀式をしたらいいんでしょう」と聞かれます。みなさんはちゃんと儀式を持っています。でも、それについて瞑想していない、毎日食事をする。それは立派な儀式です。いま自分がなにをしているのか自覚することを心がけて下さい。友達になにか相談をする。それも儀式です。その意味を考えることです。子供ができる、子供を産む。それ以上のどんな儀式が必要だというのでしょう?

『時を超える神話』 p203


禅が取り組む問題のひとつは「経験する」ということです。人々は人生の意味を学びたいとよく言います。人生に意味はありません。花にはどんな意味があるのでしょう。私たちが求めているのは人生経験です。経験する事です。ところが実際には、経験から離れて、ただあくせくと目の前のあらゆる経験に名前をつけたり、分類したり、それを解釈したりしている。あなたは恋に陥る。さて、それは結婚を前提としたものか、それとも不倫か、それとも……と、分類をしているうちにその経験が失われてしまいます。


『時を超える神話』 p214


物語というものがどんどん現実から遊離してしまいっている。その力が失われている。キャンベルが抗しようとしたのは、そのような現代であったのか。。。



「経験」というのは、誰でもするものだが、「経験」というものは、因果律で説明できるというのが、相変わらず、現代人の最大の病だろう。合理的な説明が何でもできると思う。そう思い込む。まあ、説明出来たとして、説明したとこでどうすんのか?納得出来る説明があればそれでいいのか?そういう事を考えないといけない。そうすりゃ、経験の「質」というものは上がるのか?そうではない。と思う。



橋本治が、少し側面は違うがこんな風に言ってた。



感情が先にあると現代人は思いがちだけど、感情は後からくるものなんですよ。日本人はズッーとそうです。

…中略…

情景が先。

…中略…

自分の中の言葉を誘発してくれるんですよ情景は。だから、自分の中に言葉の蓄えがなかったら情景見てもなんにもなんない。

…中略…

言葉を用意しないと、情景をみても綺麗に思えない。

…中略…

ただ、その美意識ってやっぱりわかりにくいんですよ。わかりにくいから、もうちょっと、わかりやすくしようとすると、論理的な文章になっていくのね。論理的で理知的な文章になっていくと、恋愛みたいな曖昧なものって捉えにくくなるんですよ。現代で自然描写だ情景描写だとかって、やれない。やると笑われる。それくらい、ダサイに近いくらいのところがあって、現代でやるんだったら、源氏でやった事の90%は切り捨てないと無理です。

…中略…

それは自然がないのと、人の心理が大きくなりすぎている。だから、人の心理という大気汚染が、情景という空気を窒息させていると言った方がいいかもしれない。

…中略…

もう大きな自然がなくなりつつあるから、情景と心理というのはどっちが先なんだという話をもういっぺん意図的に考えないとそういうものを取り戻すのすごく大変だと思う。





合理的で理知的な説明というはとっても便利だけど、それは自然の世界と価値の世界を簡単に分断してしまう。果たして、それはそんな簡単に分断出来るものなのか?そういう事をよくよく考える必要は、やっぱりある。現代というは、その様に、価値の世界が、人の心理として充満してしまった時代なんだろう。



でも、その世界だけだと人は理性的になり過ぎるし、自然というものがあれば、今でも、それはもっともプリミティブな物語を人に与えてくれる。情景はそれを感じるに人間に言葉を産み出させる力を持つ。物語というのは、人が経験を受け入れるときのもっとも最適化された形だろう。そんな風にも思う。そして、神話はやはり自然から発生したし、それはあらゆる物語構造のスーパークラスである。



物語によって、人は本当に何かを体験する。少なくとも、経験の「質」というのはそういう風にしてしか上がらない。人生を物語を読むように体験する事が難しくなってしまったのは、多分上に書いた事と無関係ではない。



だから、キャンベルは『神話を生きるよすがとせよ』と訴えて続けたのだろう。それしか、経験の「質」を上げる方法はないだから。でも、まあ自然と情景が失われつつある現代でそれを取り戻すのやはり至難の技かもしれない。でも、人がこれほどまでに物語をというものを求めている時代もまたないのかもしれないな。



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