新しい労働社会

新しい労働社会―雇用システムの再構築へ (岩波新書)
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極東ブログ ― [書評]新しい労働社会―雇用システムの再構築へ(濱口桂一郎)

極東ブログに触発されて読んでみる。



新書は新書でも岩波新書なので、要求される前提知識が高くて、それなりに読むのは疲れるけど、昔の新書ってこの程度のレベル感で書かれていたような気もするな。現状の労働問題の総括としては、多分これ以上のものは見つからないと思う。



まあ、詳しい書評は極東ブログの方を見てもらうとしても、実際の現場で働く人間の視線で読んでも一々納得出来る。



特に、



 もちろん、実際には労働者が従事するのは個別の職務です。しかし、それは雇用契約で特定されているわけではありません。あるときにどの職務に従事するかは、基本的には使用者の命令によって決まります。雇用契約それ自体の中には具体的な職務は定められておらず、いわばそのつど職務が書き込まれるべき空白の石版であるという点が、日本型雇用システムの最も重要な本質なんのです。こういう雇用契約の法的性格は、一種の地位設定契約あるいはメンバーシップ契約と考えることができます。日本型雇用システムにおける雇用とは、職務ではなくメンバーシップなのです。

 日本型雇用システムの特徴とされる長期雇用、年功賃金制度および企業別組合は、すべてこの職務のない雇用契約という本質からそのコロラリー(論理的帰結)として導き出されます。



『新しい労働社会―雇用システムの再構築へ』 p3〜4


という、日本社会の雇用の本質を暴いてる部分は、見事としか言いようがない。日本で通常サラリーマンとしてのもっとも一般的な雇用形態は、いわゆる総合職という言い方がなされるが、これはまさに従事する職務が明確なっていない事を体現している言葉だろう。だから、それは新卒採用時に結ぶ企業とのメンバーシップ契約であって、職務を特定した雇用ではないわけだ。



それぞれの職務に高度な専門性を求められるIT業界でも、総合職という形で雇用がなされているは、日本の独自性を顕著に表していると言えるかもしれない。



また、メンバーシップ契約という観点でみれば、年功序列や終身雇用というシステムの合理性も確かに納得出来る。そして、高度経済成長期からバブル崩壊までは成立したこの合理性が、それ以降は成立しなくなり、成果主義という言葉が導入されていく背景も納得ができる。結局の所、成果主義は、成果に対するコストが大きくなってしまった正社員に対する体の良い良い訳として導入された訳だ。



年功序列というシステムを維持したまま、建前として(つまりコストカットの言い訳として)成果主義を導入してしまった為に、それに対する批判が当然のごとくおこり、成果主義は、日本の風土にはマッチしない考え方として排斥されてしまう。しかし、それは成果主義そのもの問題ではなく、日本独自のメンバーシップ契約を維持したままでは成立しない考え方だっただけだ。



年功序列という賃金制度の合理性を支えるのは、若い時は成果に対する給料が相対的に低いのは、年を重ねた時増える給料への貯金であるという考え方だ。終身雇用が維持されてのであれば、これはある意味で正しい。特定企業に勤務し続ければ、賃金の上昇は保障されるからだ。



しかし、経済状況が安定を失い、企業として安定を恒常的に維持できなくなると、話が変わってくる。終身雇用が維持出来なくなるのだから、若いときの貯金を確実に受け取れる保障がなくなってしまう訳だ。



結局のところ、雇用が流動化せざるを得ない状況には、メンバーシップ契約という考え方はそりが合わないのだ。



という所で、実際の現場はどいう事になっているかというと、まあだいたいどこも似たようなもんだろうとは思うけど、年功序列と終身雇用と成果主義が混ざったかなり歪なものになっている。そして、雇用の流動化を支える非正規労働者と正社員の間にも利権の対立が生まれてしまっている。



そして、昨年のリーマンショックに端を発する、世界同時不況の煽りが、IT業界にも押し寄せてきていて、それが現状の歪になってしまった雇用形態を、図らずも暴き出す形になってしまっている。



日本のIT業界を支えてきた多重下請け構造は、技術の下請けでもある訳だけど、人員整理が始まれば、真っ先に対象になるのは当然派遣労働者な訳で、そこを無くすと現場を支えた技術力は当然低下する。



しかし、本質的にはメンバーシップ契約であるのが日本企業だから、技術に相当する部分の職務を正社員で賄っていくのは当然という話になるが、高度な専門性が一朝一夕で身につく訳はないから、現場が回らなくなり始める。



本来であれば、業務の遂行に支障をきたさない様に、職務別のバランスを保ったままスケールの縮小をはかるべきなのだが、メンバーシップ契約という観点を守ろうとすると、メンバーでないものから切るという選択にどうしてもなってしまう。だが、メンバーシップ契約では、職務にたいする専門性を育てる事は難しい。



現状を認識しないままの建前の堅持とコレまでの慣習によって、間違った判断が下されている。そして、既に歪だった状況がより歪なものになってしまっている。。。



と、かな〜〜〜り暗い話になってしまったが、極東ブログが述べている様に、



日本の市民が各種のポジション(正規組合員や非正規組合員)として実際に、惰性構造的に、そして対立的に分断された現在、著者の濱口氏が示す「ステークホルダー民主主義の確立」という課題は、広く開かれて問われる課題となる。社会を維持するコストを適正に配分していくことは、その上に成り立つ民主主義にも重要なのであって、民主主義が理念的に問われるよりも現実的な課題になる。



ステークホルダー民主主義の確立という方向に、社会としては動いていかざるをえないだろう。8月末には選挙も迫っているので、是非政治家の先生方には、そういった視点をもった政策を期待したいもんだが、どうも自民・民主のマニュフェストを読んでみても、微妙〜〜〜である。選挙に行く気を失う。。。。うーむ。。。