大不況には本を読む

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中央公論新社 2009-06

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別に大不況じゃなくても本は読むけど。。。という様な話ではなくて、橋本治は今新書でなにを書くのかな。という興味で読む。



とはいいつつこの本は全然本の話ではなくて、9割経済のお話です。そして、橋本治を系統的に(まあこの人には系統なんてありませんが。。。)読んでいるなら、毎度のお話です。



でまあ、その9割の経済の話は、買って読んでもらうとして、何で本を読むんですか?という話です。



割と本を読む人間であれば、一度は、



「なんかおもしろい本教えて」

「どんな本読めばいい」



なんて事を聞かれた事はある訳ですが、こういう質問はホントに困ります。自分が面白いと思う本が、他のだれかにとって面白いかどうかなんて知らないし、自分が良いと思う本が他にの人にも良いがどうかも分からない訳で、困ります。(あのベストセラーは面白いの?っていうのも困ります。本好きな人は普通ベストセラーなんぞ読みません。)まあ、だから適当な本を薦めてお茶を濁す訳ですが。。。



大体、人は何で本なんて読むのかという問いがあります。それは、読みたいから読む、面白いと思うから読む。という事になります。だから、読みたいとも面白いとも思わなければ本なんて全然読む必要はないわけです。



もう一つ大きな誤解に、本を読んでいる人は、頭がいいとか、頭が良くなりたいから本を読むというのがあります。本なんか読まなくても、頭いい人はいるし、本を読んでもお利口にならない自分みたいな人間もちゃんといます。本を読んだ結果として、知識が増えるというのはもちろんですが、殆どの本が好きな人は、知識を増やそうと思って本を読む訳ではありません。



本好きには、大体2種類の人間がいます。



1.先天的本好き

→両親が本好きとか、子供の頃から本を読むのがあたりまえ環境がある。



2.後天的本好き

→なにかのきっかけで本に嵌る。



1と2どっちが、多いかはしりませんが、自分は2で、19歳までは殆ど本なんて読みませんでした。読むようになったきっかけは、現実で壁にぶつかってどうにもならなかったからです。そういう時に、本は一番いい薬になります。本を読むというのは、基本的には、他人の考えを読むことで、その本を書いた人間と、読んでいる人間は別人なので、当然自分なりの視点で読みます。だから本に書いてある事とは全然別の事を考えたりもします。で、それが本の効能である「行間をよむ」という事にります。



だから、本を読むというのは、正確には本に書かれていない事を読むという。一見すると???という事になるわけです。橋本治はこんな風に書いています。



なぜ本に「書かれていないこと」が存在するかと言えば、「本の書き手の視点」が、「その本の読み手の視点」とは必ずしも一致しないからです。「書き手はこう言っているが、読み手である自分にとってはどうなんだろう?」というズレが、必ず出ます。だからこそ、本の中には「書かれていないこと」が存在して、読み手は「その本にかかれていない自分のあり方」を探すのです。つまり、「行間」とは「読者のいる場所」なのです。その「居場所」がある限り、読者は「自分のあり方」に沿って、いろいろと考えなければなりません。それを「いやだ」と思ったら、読者はその本を捨てます。



『大不況には本を読む』p220〜221


普通、人は自分のあり方を探す為に本を読みます。立ち止まって考える為に本を読みます。こういう事が出来るメディアは、本しかありません。もちろん、本抜きで、自分自身の事を考える事も出来ますが、そういう行為はあまり良い結論になりません。なぜなら、そこには自分自身の視点しかないからです。



本というのは、人間の考えるという行為が共同で成立する結構希な状況を成立させてくれる装置でもある訳です。



また、考えるという行為は、基本的に未来に向いたベクトルをもっています。ですが、考えるとは、常に過去を考えるという事でもあります。現状がかくかくしかじかになってしまったという事を見つめ直すには、過去を振り返るしかないからです。



過去を振り返らない限り、現状の分析は出来ないし、未来も築けないのです。



本が凄いのは、そこに他人の過去が書かれているという点です。(1000円かそこらで、他人の過去が読めるというのはよく考えると衝撃です。)他人の過去と、自分の現在がぶつかって、未来がすこし見えるという仕掛けになっているのが本なのです。



という所で、何で大不況に本を読むという事になるかというと、過去を振り返るという事をしないで、だらだらと現状を引きずってきた結果として今があるから、本を読んで未来を考えようというのが、至極まっとうな橋本治の主張です。



このブログでもさんざんバブルバブルと言って、過去のことに関してうだうだと言及してますが、それは、なんで今こんな状況なのという事をちゃんと考えようとすると、過去に戻ってみるという事をするしか手がないからです。



活字離れとか、出版不況とか言われるのは、本に関わる仕事をしている人間にも一定の責任がある訳ですが、くだらない本であっても、本を読まないと、人間はどんどん未来を考える手がかりを失っていきます。特に、歴史がこれまで経験した事がないような状況であれば尚更です。(歴史を人生に置き換えても構いません。)



売れる本は、ビジネス書だったり、How To本が多いですが、こういう「こうすれば、こうなる」というという事が書いてある本には、「行間」というものがありません。それは考える余地がないという事です。でも、自分で考えなくても答えが提示されているこういう本を読んで、「ああロクな本じゃない」と思う事もまた本を読む行為だったりするので無駄とも言えません。



だから、本を読めという言説はある意味では、正しかったりする訳です。でも、「じゃあどんな本を読めばいいんですか?」という質問には、誰も答えられないのです。「行間」は人によって変わるからです。本は答えを教えてくれるツールではなく、考え方を身につけるツールだからです。本を読むとなにか答えがみつかる思っている人は結構いるみたいですが、それは大きな誤解で、本を読んでも何にも答えなんて書いてない訳です。



で、この『大不況には本を読む』の「行間」は、橋本治の作品を沢山読んできていると、結構感動的でした。読者なら、源氏物語/平家物語の翻訳や、美術史の本を書く著者が、どうしてこういう本を未だに書いているのかという事には思い至るはずだし、そこに隠れた橋本治の矜持を思えば、おのずと勇気がもらえる新書です。